江戸染まぬ
青山文平
文藝春秋
20210921_150340
下士が上士と対等に力を競えるのは藩校道場だけだ。
そこで頭角を現せば上士からも一目置かれる。
いざとなったら斬られるのではないかと畏れられる。
が、一目置かれるのはいつもおまえで、大きく後れた二番の俺は軽んじられたままだった。
だから余計に悔しかった。

それに、以前にも言ったが、俺は竹刀では負けても本身で闘えば己が勝つのではないかという予感を抱いていた。根拠もあった。
押し寄せるおまえの気が薄いのだ。
あれでは刃筋が十分に立たない。
相打ち覚悟で立ち向かえば、俺は浅手を受けるだけでおまえには深手を与えられると信じた。

武家が真に強いかどうかは竹刀ではなく本身で決まる。
ほんとうは俺の方が強いのに弱いおまえがもてはやされていると思うと悔しさが滾った。



「実はお主を見込んで折り入って頼みたいことがあるのだが・・・」
「実は手前は酒好きでな。酒を入れぬと寝つけんのだ。が、行列は国の大事ゆえ、行程のあいだ飲酒は禁じられておる。で、恥ずかしながら、いつも一人で忍んで宿場の居酒屋へ行き、何本か空けるのを習いとしていた」
「今宵もそのようにして、いましがた戻ったところなのだが、実は、その居酒屋に本差を置き忘れてな」
「ついては、誰にも知られぬ様に、お主取ってきて欲しい」

外で本差を置き忘れたと知られたら、それだけで武家は切腹である。
居酒屋の主人に本差を忘れたとは口が裂けても言えない。
まして、その藩では参勤交代中の飲酒を禁じていた。
藩士は二重の窮地に立たされていたのである。

「承知」

そこは元武家で直ちに了解し、脱兎のごとく言われた居酒屋へ行くと、たしかに客は一人もおらず、本差はしっかり壁と畳の際に寝そべっていた。

本差しを包むものはなにもなく、そのままでは忘れ物が刀と気づかれてしまう。

とっさに俺は本差を腰に帯び、目立たぬよう落とし差しにした。
江戸で慣れ親しんだ、からだの脇に添った差し方である。
そのときだ。
理由が向こうからやってきたのは。
腰が嘘のようにしっくりくる。
俺の不調は、長く腰に本差がなかったことに因っていたのだ。
俺はともかく俺の躰は、ずっと本差を差したがっていたのである。

刀は武家の徴と言う。
でも、刀には他の身につける徴とは際立って異なる点がある。重いのだ。
少ない武家が腰痛に悩むほど重い。
つぶさに見れば、あらかたの武家は程度の差こそあれ左肩が落ちている。長く大小を帯びていれば誰もがそういう躰で釣り合いをとるようになる。
厄介で員数外だった俺とて、そこは変わらない。
まだ骨が固まりきっていない十五歳から二十四歳まで、ずっと二本を差してきた。

刀まで入れて俺の躰になる。
己が紛れもなく、練兵館の目録なのだと思い知ったのもそのときだ。
寄る辺なさを打ち砕くための剣であったとはいえ、稽古は淫するほどに取り組まねば目録には届かぬ。
そして、淫するほどに取り組めば、四肢は動かさずとも動くようになる。
肩も肘も手首も指も、動かそうとする前に動いている。
刀が躰に入るのだ。
厄介としてちまちましく動いていた頃も、剣にだけは淫してそういう躰を作ってきた。
刀と一つの躰を作ってきた。