剣客小説集 刃傷
池波正太郎
立風書房
20230529_070938
かわうそ平内 より

その年—元禄元年の年が明けて、辻平内は四十歳になったわけだが、
「どうだね、あの腰のまがりようは・・・あれで剣術を教えようというのだから、恐れ入ったものだ。」
「あの先生、六十をこえているのだろうね」
「とんでもない。七十二になるというよ」
なんでも[無外流]とやらいう剣術をつかうのだそうであるが、近辺の旗本屋敷で剣術の一つもやろうという人たちにいわせると、「ふふん、聞いたこともない流儀だ」そうな。

人の一生のうちで、胎内より生れ出たるそのときから、何よりもはっきりとわかっておることは、いったい何であろうか?

それは、かならずいつの日か、人というものは死ぬことよ。

当たり前のことじゃがな、この当たり前のことが、人というものに、まこと正しく深く、よくよくのみこめていないのじゃ。おのれはいつか必ず死ぬる時を迎える。この一事をこそ絶えず念頭におもい、一日一日を生きてゆくことが肝要だわえ。


わしは、近江の国・甲賀の馬杉村の生まれでな。
小さな郷士の家の三男坊よ。
むかしな、わしが家へ旅の武士が一夜の宿りをしたが、この御方、伊藤大膳鎮元と申されてな。
山口流の祖、山口卜真斎先生の高弟にて、恩師亡きのち、京の道場を引き受けておられたのじゃが・・・これが縁となってのう。

恩師・伊藤大膳の許しを得て一派をあみだした、その無外流をもって、辻月丹の名は天下にひびきわたった。
月丹は、平内の号である。

辻道場は、小石川の堀内源太左衛門(一刀流)のそれと並び称され、江戸屈指の隆盛をほこった。
だが、辻月丹は、二百五十余におよぶ門人から得た金品を惜しみなく困窮の人々にわけあたえ、生涯、妻をめとらず、これも独身の杉田庄左衛門につかえられ、享保十二年六月二十三日、七十九歳の長寿をもって永眠した。